休日だったその日、朝からずっと娘と一緒に過ごしていました。
外は雨。
娘の大好きな公園には行けず、家の中で過ごす一日。
体を思いきり動かせない娘は、少しでも楽しく過ごそうと、
何度も「一緒に遊ぼう!」と声をかけてくれました。
本当は、そんなふうに求めてもらえることは嬉しいはずなのに…。
どこかで私は、
「自分の好きなことをする時間がほしい」
と、思っていました。
溜まっているドラマを観たい。
SNSで好きなものに関する情報を集めたい。
そんな小さな願い。
でも、休日にそんなことを思うのはわがままな気がして、
「ちゃんと娘と向き合わなきゃ」と自分を奮い立たせるほど、
心の余白はどんどん小さくなっていきました。
娘は何も悪くないのに、「ちょっと休憩したい」と言ってしまい、
娘の表情が少し曇るのを見て、胸がちくりとした瞬間があって…。
その日の夜、娘が寝たあと、私はようやく気づきました。
荒れていたのは、娘との時間ではなく、
“自分の時間が足りない”という気持ちのほうだったのかもしれない、と。
感情が荒れているとき、私は「相手」に原因を探していた

感情が荒れているとき、私はいつも「相手」に原因を探していました。
どうして何度も声をかけてくるんだろう。
どうして今、静かにしてくれないんだろう。
そんなふうに考えているうちは、余計にイライラが膨らんでいきます。
でも本当は、娘はただ一緒にいたかっただけ。
私の余裕がなくなっていただけでした。
感情が強いときほど、視線は外に向きがちです。
でも今回、少しだけ立ち止まってみて、気づいたことがありました。
怒りの奥にあったのは「不足感」だった

私が感じていたのは、怒りというよりも、「足りない」という感覚だったのかもしれません。
自分の時間が足りない。
好きなことをする余白が足りない。
ひとりの時間が足りない。
それをうまく言葉にできないまま、怒りという形で表に出ていただけでした。
感情は、悪いものではなく、「ここが足りていないよ」と教えてくれるサインなのかもしれません。
もしあの日、「私は疲れてる」「私は自分の時間がほしい」と素直に認められていたら、
あんなに荒れずに済んだのかもしれないな、とあとから思いました。
だから私は、すぐに解決しようとしない

感情が荒れると、すぐにどうにかしなきゃ、と思ってしまいます。
ちゃんと向き合わなきゃ。
ちゃんと伝えなきゃ。
ちゃんと反省しなきゃ。
でも最近は、荒れているときほど「何もしない」を選ぶようにしています。
正しいことを言おうとする前に、まずは自分の気持ちを落ち着かせる。
お茶を飲む。
深呼吸をする。
5分だけでも好きなことをする。
それだけで、世界の見え方が少し変わることがあります。
余白が戻ってからなら、「今日はちょっと疲れてたんだ」と
娘にも、そして自分にも、やさしく言える気がします。
それでも、うまくできない日はある

もちろん、いつも冷静でいられるわけではありません。
また同じことで荒れる日もあるし、「やっぱり余裕ないな」と落ち込む日もあります。
でも、前より少しだけ違うのは、感情を「ダメなもの」と思わなくなったこと。
怒りやイライラは、誰かを責めるために出てくるのではなくて、
自分を守るために出てくるものなのかもしれません。
そしてそれは、足りないものを教えてくれる、大切なサイン。
そう思えるようになってから、荒れた日の後悔が、ほんの少し軽くなりました。
最後に
子どもとの時間にイライラしてしまう日があっても、
それは「愛情が足りない」ということではなくて、
「余白が足りない」というだけなのかもしれません。
まずは相手をどうにかする前に、自分の不足に気づいてあげること。
感情が荒れた日は、自分の声を聞くチャンスなのかもしれない。
そんなふうに思えたら、少しだけ、呼吸が楽になる気がしています。


